水源林の歴史
水道局は、森林の持つ水源かん養機能などに着目し、明治34(1901)年から120年近くにわたり
多摩川上流域の森林を水道水源林として適正に管理しています。
年表
年次 | 西暦 | 内容 | 所有者 | 備考 |
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江戸時代 | ~1867 | 多摩川上流域一帯の森林は、おおむね徳川幕府の領地に属し、地域住民は入会権(注1)を持ち、生活に必要な林産物の収穫が許されていた。 また、幕府直轄の「お留(止)め山」(主に御巣鷹山)も各所にあり、おおむね良好な森林を形成していた。 |
徳川幕府 | 承応3年 (1654) 玉川上水完成 |
明治元年 ~30年 |
1868 ~1897 |
多摩川上流域の山林は「山林原野官民有区分」により官林に編入され、その後御料林(注2)に編入されたことで、従来の入会が制約を受けることになり、最上流部等では、森林の荒廃が進行した。 | 農商務省 山林局等 |
明治11年 (1878) 東京府吏員山城祐之が多摩川源流(水干)を確認 明治26年 (1893) 神奈川県から三多摩地域が東京府に編入 明治30年 (1897) 森林法発布 |
明治34年 | 1901 | 東京府は水源地の荒廃を憂いて、山梨県下の丹波山村、小菅村の約8,140ha及び府下の日原川上流約320haの御料林を譲り受け、府自ら経営を開始した。 また、同時に日原川流域の公・私有林約5,100haを保安林に編入した。 |
東京府 | |
明治41年 ~42年 |
1908 ~1909 |
水源林の荒廃は、市民への給水の責務を有する市自ら復旧すべきであるとして、尾崎行雄東京市長は調査を行い、水源地経営案を作成した。 | ||
明治43年 | 1910 | 上記の経営案が市議会で議決され、10月に水源林事務所を開設した。 また、府下の御料林約700haを譲り受け、積極的に水源かん養林の経営に着手した。 |
東京市 | |
明治45年 | 1912 | 山梨県萩原山(現甲州市)の恩賜県有林(注3)約5,610haと、既に府有林であった約8,460haを東京市が譲り受けた。 | ||
大正2年 ~15年 |
1913 ~1926 |
山梨県及び府下の私有林約610haを買収し、明治44年から開始した府下の公・私有林との部分林(注4)約870haを合わせ、経営面積は約16,250haとなった。 | ||
昭和8年 | 1933 | 日原川上流の私有林約4,780haを買収した。 | 昭和18年 (1943) 東京都 |
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昭和25年 | 1950 | 旧古里村(現奥多摩町)の部分林約90haに同村有林約100haを加え、約190haを買収した。 | 昭和32年 (1957) 国立公園法は廃止となり、自然公園法が成立 昭和32年 (1957) 小河内ダム完成 |
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昭和42年 | 1967 | 小河内ダム建設当時に買収したダム周囲林約560haが小河内貯水池管理事務所から移管され、水源林はほぼ現在の形になった。さらに数件の売却や交換等を経て、経営面積は約21,634haになった。 | ||
平成2年 | 1990 | 多摩川流域の水源施設の管理一元化を図るため、水源林事務所を水源管理事務所に改組し、村山・山口貯水池及び小河内貯水池とともに、水源林を水源施設の一つとして管理することになった。 | ||
平成13年 | 2001 | 水道水源林の管理開始から100周年を迎えた。 | ||
平成14年 | 2002 | 多摩川水源森林隊を設立した。 | ||
平成22年 ~ |
2010 ~ |
民有林購入事業により、管理面積は約25,000ha(令和3年4月現在)になった。 |
(注1)入会権 農民が燃料等の生活資材を共同で摂取できる権利
(注2)御料林 皇室で管理していた森林
(注3)恩賜県有林 皇室により県に下賜された森林
(注4)部分林(分収契約林) 私有地又は町村有地に地上権を設定し、水道局で管理していた森林
笠取山(かさとりやま)付近の移り変わり


カラマツ林です。

広がっています。

東京都水道局が所蔵する古文書・古記録や絵図、写真などの貴重資料を見ることができます。
東京都水道局が所蔵する古文書・古記録や絵図、写真などの貴重資料を見ることができます。
- 水道水源林とは